「 混乱 」 「あ、・・・お前」 「・・・・・・」 アトランシス、施設本部及び研究棟。 ヤヌエスの少年達に「施設」または「組織」と呼ばれるところ。 その奥に一般の構成員や少年達には存在すら知られていない、 広大な地下研究施設がある。 「どうした?」 20代半ばと見える白衣の男と、彼より少し若そうに見える物静かな男。 「なんか問題でも起きたのか?身体に?」 「・・・・・」 弟を気遣うような口調で問うが、若い男は無言で首を振った。 ス、と手を伸ばして、やはり無言のまま触れるのは相手の耳元。 この地下部に出入りする全ての人間はそこに補聴器のような 小さな機械をつけている。彼と、会話をする為だ。 「А(アー)?」 『貴方は、以前エゴのヘッドをしておられましたね?伊吹さん』 伊吹の耳に、澄んだ声――正確には『声』ではないのだが――が響く。 自身の喉から言葉を発することの出来ないАの、会話の手段である。 「あ、ああ。それが・・・?」 『ヤヌエスで少々問題が起きました。原因は施設です』 「問題・・・?」 『実際に見ていただければわかります。来て、下さいますね?』 数cm上から、真面目な表情で見つめられて、何がなんだか 解らないまま伊吹は頷いた。解らないが、Аが嘘をついているとは思えない。 『出来るならば、貴方の昔の同僚の方々にも同席して頂きたいのですが』 「他の地域のヘッドってことか?・・・・・解った。 すぐ全員集めっから、ここで待ってて」 返事の変わりに手が降ろされる。 伊吹はくるりと踵を返し、足音を殺して走り出した。 同じ頃、ヤヌエスでは。 「一行さんが!?」 「ま、さか死んだとかじゃないっすよね!!?」 「縁起でもないこと言わないでよ!」 「けどどーすんだよマジで・・・っ」 ヘッドが1人連れ去られた、と言う情報が四地域を騒がせていた。 中でも一番混乱しているのは、当然のことながら、コアである。 「・・・っ畜生!!」 「星覇さん。落ち着いて下さい」 「落ち着いてられっかよこの状況で!?」 「だからこそですよ。・・・皆が、必要以上に不安になるから」 珍しく強い口調で、美杉が諌める。 もっともなその言葉に、怒鳴りかけた星覇が俯いた。 あれから数時間。荒れ果てた部屋からはとりあえず引き揚げて、 今はいくつかあるコアチーフの溜まり場の一つに陣取っている。 施設からは、決して充分ではない事情説明が(インターネットを通してだが)あった。 『施設内の研究棟から強暴な実験動物が脱走した』 それがあの強制査察――と呼ぶのも憚られるような、殴り込みの原因だと言うのだ。 もちろん、誰もそれが真実だなどとは思っていなかった。 「・・・・・私、明日少し出掛けるから」 「美月?」 「悪いけど、今日はシドに戻るわ。明日の夜、またこっちに来るから。 ――――セイちゃん、勇我君、佳。皆についていてあげてね」 女の子はしっかり守らないとダメよ?と微笑んで、美月は建物を出た。 夜気の中で、一度小さく溜息をつき、早足で歩み出す。 「待って」 「・・・・・夏日?」 「私もノアに戻るわ。ここのパソコンじゃ何も出来ないから」 「そう」 今度は、歩調を合わせて少しゆっくり歩いた。 街灯も少ないこの闇の中で判らないが、夏日の表情からは「余裕」というものが 欠落しているように見えた。しかし、それは当然かと美月も思う。 夏日にとって一行は、ただの友人ではなかった。かつては、恋人同士と言う関係だった事もある。 それはもうとっくに終わってしまった関係ではあるけれど。 美月は、夏日の想いを知っている。 確認するように、美月が呟いた。 「一行君は、生きてるわね」 「・・・当たり前でしょ?そんなヤワな男じゃないもの」 「そうね。・・・セイちゃんや勇我君と同じ。殺しても死なない人種だわ」 「そーゆーこと。・・・じゃあ、私こっちだから」 「ええ、また明日」 コアの郊外で、手を振って別れた。 ここから見てノアは西、シドは東だから、必然的に互いに背を向けることになる。 小さく振り返って、美月も同じように遠ざかっているのを確認して。 「当たり前、か。・・・よく言うよ。自分が一番疑ってるくせに」 夏日は、嘲笑うように吐き捨てて、髪をかきあげる。 この髪。もう何年も伸ばして来たけれど、そろそろ切ろうかとも思う。 「・・重いなぁ・・・もう、嫌・・・」 髪のことなのかそうでないのか、今にも泣き出しそうになるのを堪えて、震えるため息。 やけに大きく聞こえたような気がした。
先代ヘッド登場。彼らも濃ゆいメンバーで。 byマジコ